観光スポット 一覧
-
御所・二条城・東寺 -京都市上京区-
- [ 寺院 ]
-
京都市上京区下立売通西大路東入ル
臨済宗妙心寺派の別格寺院。通称だるま寺。
境内の達磨堂に約8000体のだるまを祀ることから、だるま寺とよばれる臨済宗妙心寺派の寺。11月1日の達磨忌
-
ほ 本法寺
- [ 寺院 | 庭園 ]
-
京都市上京区小川通寺之内上ル
山号は叡昌山。本尊は十界曼荼羅。
洛中法華21ヶ寺(現在は16ヶ寺)のひとつで、本阿弥家と長谷川等伯ゆかりの寺として知られる。長谷川等伯筆「
-
ま 益富地学会館
- [ 博物館・資料館 ]
-
京都市上京区出水通烏丸西入ル
京都御苑の隣にある石の博物館。
展示室は鉱物・化石・岩石の標本が多数あり石をさわって見て楽しめる展示を公開。1階は地学関係の書籍、標本、採
-
あ 安達くみひも館
- [ 博物館・資料館 | 体験施設 ]
-
京都市上京区出水通烏丸西入ル中出水町390
くみひも資料館の見学や、くみひも制作の体験ができる。
平安時代から伝わる京組紐の歴史資料、作品、細分化された制作工程などを展示。安達くみひも館でしか見られない人
-
か 鴨川公園
- [ 公園 ]
-
京都市上京区北区~南区
京都の中心を流れる鴨川の河川敷に整備された公園。
南北に伸びる水辺の緑地は、木立に囲まれた散歩道や芝生、運動広場が整備され、市民のリフレッシュエリアになって
-
さ 幸神社
- [ 神社 ]
-
京都市上京区寺町通今出川上ル西入ル幸神町
「幸福を招く」「縁結び」の神社
地元では「さちじんじゃ」と呼ばれ、正式名さいのかみのやしろ。平安京造営の際、御所の鬼門を護る役目として建て
-
し 白峯神宮
- [ 神社 ]
-
京都市上京区今出川通堀川東入ル飛鳥井町261
配流されてその地で歿した崇徳天皇・淳仁天皇を祀る。蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地事から、球技
-
し 石像寺 釘抜地蔵
- [ 寺院 | 碑・像・塚・石仏群 ]
-
京都市上京区千本通上立売上ル花車町503
地元では通称の釘抜地蔵で知られている。
空海(弘法大師)により819年(弘仁10年)に創建と伝わる古刹。地蔵堂の本尊は空海が唐から持ち帰った石を刻
- [ 神社 | 初詣スポット ]
-
京都市上京区堀川通一条上ル
平安時代、6代の天皇に天文陰陽博士として仕えた安倍晴明を祀る。本殿の北には、井戸「晴明井」があり、ここから
-
み 妙蓮寺
- [ 寺院 ]
-
京都市上京区寺之内通大宮東入ル
日像聖人によって、永仁2年(1294)に創建された。
日像上人開山の寺。幸野楳渓筆の四季の襖絵や十六羅漢の石庭が有名。重文の襖絵、松桜図・鉾杉図は予約して特別拝
-
り 立本寺
- [ 寺院 | 桜 | 花 ]
-
京都市上京区七本松通仁和寺街道上ル一番町107
日蓮宗の本山(由緒寺院)。
塔頭が四院ある(正行院、教法院、光源院、大輪院)日蓮宗の古刹。妙顕寺、妙覚寺、立本寺の三寺で「龍華の三具足
-
あ 阿弥陀寺
- [ 寺院 ]
-
京都市上京区寺町通今出川上ル
浄土宗の寺院。
1555年(天文24年)、玉誉清玉が近江国坂本に創建したと伝わる。織田信長が帰依した事により、近江坂本より
- [ 神社 | 博物館・資料館 ]
-
京都市上京区馬喰町 北野天満宮内
宝物殿は昭和2年(1927)、萬燈祭の記念事業として建築された。国宝北野天神縁起絵巻(えんぎえまき)を始め
-
き 北野天満宮の鳥居
- [ 神社 ]
-
京都市上京区馬喰町 北野天満宮内
受験生たちが願いを込めて訪れる、北野天満宮。絵馬奉納所の手前に立つ鳥居で絵馬は、祈願成就した人がお礼する姿
-
し 相国寺
- [ 寺院 ]
-
京都市上京区今出川通烏丸東入ル
足利義満が創建した禅宗五山の一つ。
豊臣秀頼寄贈の法堂は山内最古の建物で国の重要文化財。同寺や末寺の宝物を展示する承天閣美術館もある。
-
じ 承天閣美術館
- [ 美術館・ギャラリー ]
-
京都市上京区今出川通烏丸東入ル
相国寺創建600年記念事業の一環として建設された美術館。
伊藤若冲筆の芭蕉図、葡萄図を常設展示している。企画展も随時開催されている。国宝・重要文化財も多く所蔵。20
-
ず 瑞春院塔頭寺院
- [ 寺院 ]
-
京都市上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701
相国寺塔頭の一つ。
室町末期、足利義満が太清宗渭を相国寺に迎請するため、禅室として雲頂院を創設。その後、天明の大火で焼失。弘化
-
し 出世稲荷神社
- [ 神社 | 稲荷 ]
-
京都市上京区千本通竹屋町下ル聚楽町85
豊臣秀吉の出世にあやかる神社。
豊臣秀吉の聚楽第の邸内社として創建されたもので、宇迦之御魂命(稲荷神)を祀る。秀吉の出世にあやかろうと江戸
-
い 一条戻り橋
- [ 橋 ]
-
京都市上京区堀川通一条
堀川に架けられている一条通の橋。
平安時代に文章博士三善清行の葬列がこの橋にさしかかったとき、死者が生き返ったことが橋の名の由来。嫁入り前の