神社・寺院・歴史 一覧
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ほ 宝山寺
- [ 寺院 ]
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生駒市門前町1番1号
真言律宗大本山の寺院。生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれる。
1678(延宝6)年に宝山湛海が中興した。商売繁盛の現世利益と、禁酒など断ちものを祈願する庶民信仰の寺。生
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よ 吉野歴史資料館
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
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吉野郡吉野町宮滝348
展示室では、宮滝遺跡から出土した縄文から奈良時代までの遺物や、『万葉集』などにしばしば登場する吉野宮の復元
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き 金勝寺
- [ 寺院 ]
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生駒郡平群町椣原53
聖武天皇の御代、天平十八年(746年)、行基菩薩の発願のより創建と伝えられる古寺。たび重なる戦禍で焼失と再
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く 楠正勝の墓
- [ 碑・像・塚・石仏群 ]
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吉野郡十津川村武蔵
滝バス停付近に大塔宮(護良親王)の御詠碑が建っている。
楠正成の孫で、楠正勝は弟とともに金剛山落城のあと南朝再起をはかって十津川で兵を募ったが、病に倒れこの地に葬
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さ 西大寺
- [ 寺院 ]
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奈良市西大寺芝町1-1-5
南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇った。
西の大寺として765(天平神護元)年に建立され、東大寺と並ぶ規模を誇った。本尊の釈迦如来立像は鎌倉時代の作
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た 談山神社
- [ 寺院 | 桜 | 紅葉 | パワースポット ]
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桜井市多武峰319
[ 紅葉時期 11月中旬~12月上旬 ]
木造では世界唯一の十三重塔をはじめとする重要文化財「社殿群」
鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が
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ち 竹林院群芳園
- [ 寺院 | 庭園 | 桜 | 花 | 宿泊 ]
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吉野郡吉野町吉野山2142
聖徳太子が創建した椿山寺の跡と伝えられる。
本堂には聖徳太子、役行者等の坐像を祀っている。庭園「群芳園」は、豊臣秀吉(豊太閤)が吉野山の桜の花見に際し
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ち 長弓寺
- [ 寺院 ]
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生駒市上町4443
国宝の本堂は鎌倉時代の密教仏堂の代表作として知られる。
728(神亀5)年に行基と建立したと伝わる。境内には庫裏と塔頭四坊が立っている。近くの真弓団地東端に、真弓
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ほ 法輪寺
- [ 寺院 ]
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生駒郡斑鳩町三井1570
史料が乏しいため、創建事情の詳細は不明であるが、発掘調査の結果等から、法隆寺西院伽藍の3分の2の規模を持ち
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か 橿原神宮
- [ 神社 | 初詣スポット ]
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橿原市久米町934
橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、明治23年(1890年)4月2日に官幣大社として
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た 多聞城跡
- [ 城 | 歴史 ]
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奈良市法蓮町 若草中学校敷地内
戦国時代、松永久秀が築いた多聞城の城跡。
松永氏の居城となった平山城。多聞城とも呼ばれる。現在の城跡は奈良市立若草中学校になっている。周辺には多聞山
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へ 平城宮跡
- [ 歴史 | 庭園 ]
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奈良市佐紀町
平城京は710(和銅3)年に藤原京から遷都されて以来、74年間にわたり、日本の首都として栄えた場所。現在、
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ほ 法起寺
- [ 寺院 ]
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生駒郡斑鳩町岡本1873
聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。「法隆寺地域
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ほ 法華寺
- [ 寺院 ]
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奈良市法華寺町882
奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。
東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺と位置づけられた。光明皇后が、父藤原不比等[ふひ
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よ 吉野水分神社
- [ 神社 ]
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吉野郡吉野町吉野山1612
天之水分大神を主神とし、7柱を祀る古社。
水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とし、高皇産霊神・少名彦神・御子神・天津彦火瓊瓊杵
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お 大峯山寺
- [ 寺院 ]
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吉野郡天川村洞川703
女人禁制の山、大峯山の山上に立つ役行者創建の寺。
役小角(えんのおづぬ、役行者神変大菩薩)を伝承的な開祖とする修験道の寺院。平安時代初期から現在に至るまで女
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つ 土舞台
- [ 歴史 ]
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桜井市谷
日本最初の演劇研究所があった場所。
聖徳太子が百済人味摩之の伝えた伎楽舞を少年たちに習わしたと伝わり、土舞台の碑が立つ。芸能発祥の地を記念して