神社・寺院・歴史 一覧

-
ひ 人麿神社
- [ 神社 ]
-
橿原市地黄町
柿本人麻呂を祭神とする神社。
祀られているのは万葉歌人で三十六歌仙である柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)。本殿は一間社隅木八春日造りで
-
か 唐古鍵遺跡
- [ 碑・像・塚・石仏群 | 歴史 ]
-
磯城郡田原本町唐古
吉野ヶ里遺跡と並ぶ弥生時代の大環濠集落。
大型建物の跡地や青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見され、話題となった。平成11年(1999年)に国の史跡。唐
-
や 山部赤人の墓
- [ 碑・像・塚・石仏群 ]
-
宇陀市榛原山辺三
奈良時代の歌人、三十六歌仙の一人の墓。
奈良時代万葉の歌人、山部赤人の墓で、五輪塔(高さ約156cm、石英粗面岩製)が、額井岳の東麓、東海自然歩道
-
さ 櫻井寺
- [ 寺院 ]
-
五條市須恵1-3-26
門前に「史跡天誅組本陣址」の石標が立つ。
天暦年間(947~957年)、桜井康成の創建と伝わる。1863(文久3)年、天誅組が五条代官所を襲ってここ
-
い 石床神社 旧社地
- [ 神社 ]
-
生駒郡平群町越木塚石床783
越木塚の集落内にある石が御神体。
越木塚集落の南東部、伊文字川流域を見おろす位置にあり、本殿や拝殿は当初からなく、鳥居と社務所があっただけで
-
た 多聞城跡
- [ 城 | 歴史 ]
-
奈良市法蓮町 若草中学校敷地内
戦国時代、松永久秀が築いた多聞城の城跡。
松永氏の居城となった平山城。多聞城とも呼ばれる。現在の城跡は奈良市立若草中学校になっている。周辺には多聞山
-
か 片岡家住宅
- [ 歴史的建造物 ]
-
宇陀市大宇陀田原938
樹齢約800年のケヤキの老樹に囲まれている片岡家。
片岡家は大庄屋をつとめた由緒ある家。長屋門は1832(天保3)年、入母屋造りの茅葺きの主屋は1670年(寛
-
や 矢田寺
- [ 寺院 | 花 ]
-
大和郡山市矢田町3549
正式の寺号を金剛山寺(こんごうせんじ)。
天武天皇の勅願により天武天皇8年(679年)に智通が開基と伝わる。別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約
-
お 大峯山寺
- [ 寺院 ]
-
吉野郡天川村洞川703
女人禁制の山、大峯山の山上に立つ役行者創建の寺。
役小角(えんのおづぬ、役行者神変大菩薩)を伝承的な開祖とする修験道の寺院。平安時代初期から現在に至るまで女
-
き 吉祥草寺
- [ 寺院 ]
-
御所市茅原279
4代舒明天皇の頃に山伏修験道の開祖ともいわれる役小角創建の寺。不動明王を所蔵し、小角自らの作といわれる32
-
ほ 法華寺
- [ 寺院 ]
-
奈良市法華寺町882
奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。
東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺と位置づけられた。光明皇后が、父藤原不比等[ふひ
-
ほ 法輪寺
- [ 寺院 ]
-
生駒郡斑鳩町三井1570
史料が乏しいため、創建事情の詳細は不明であるが、発掘調査の結果等から、法隆寺西院伽藍の3分の2の規模を持ち
-
さ 西大寺
- [ 寺院 ]
-
奈良市西大寺芝町1-1-5
南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇った。
西の大寺として765(天平神護元)年に建立され、東大寺と並ぶ規模を誇った。本尊の釈迦如来立像は鎌倉時代の作
- [ 不動 ]
-
大和高田市本郷町8-15
聖徳太子の建立、光明皇后が再建と伝わる。
本堂は、大和高田市唯一の国の重要文化財。この堂は1483(文明15)年に高田城主当麻為長が建立したもの。本
-
つ 土舞台
- [ 歴史 ]

-
桜井市谷
日本最初の演劇研究所があった場所。
聖徳太子が百済人味摩之の伝えた伎楽舞を少年たちに習わしたと伝わり、土舞台の碑が立つ。芸能発祥の地を記念して
-
ほ 宝山寺
- [ 寺院 ]
-
生駒市門前町1番1号
真言律宗大本山の寺院。生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれる。
1678(延宝6)年に宝山湛海が中興した。商売繁盛の現世利益と、禁酒など断ちものを祈願する庶民信仰の寺。生
-
よ 吉野水分神社
- [ 神社 ]
-
吉野郡吉野町吉野山1612
天之水分大神を主神とし、7柱を祀る古社。
水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とし、高皇産霊神・少名彦神・御子神・天津彦火瓊瓊杵
