旅案内 たびあん

梅若公園 榎本武揚像 うめわかこうえんえのもとたけあきぞう

碑・像・塚・石仏群 公園
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墨堤通りに面した小さな公園。
基本情報

幕末時代、新政府に対抗して独立政府を宣言して戦った榎本武揚の銅像が建つ。

向島を愛した榎本は、晩年を向島で過ごし、墨堤で馬を走らせる姿も見られたという。

説明板より

武揚たけあきは、天保7年(1836)下谷三味線堀(現台東区)に生まれました。

天性聡明で学問を好み昌平黌こうで儒学を、更に江川太郎左衛門の塾でオランダ語・英語を学びます。

幕府が長崎海軍伝習所を開設するや選ばれて入所し、オランダ人教官により洋式海軍技術を習得、蒸気機関や機械製造に関しても研究、当時未知の学問であった化学も学びました。

さらに文久2年(1862)にオランダに留学、今まで学んできたことをいっそう深めると共に国際法も修めました。

オランダから帰国すると、軍艦奉行から海軍副総裁へと進み、幕府海軍の柱となります。

やがて幕府が崩壊するや幕府海軍を率いて函館の五稜郭りょうかくにより官軍と戦いますが、敗れて捕えられます。

然し、明治新政府の中にも彼の人物を惜む声が強く、明治5年許されて出獄します。

当時難問とされた樺太帰属問題解決のため、彼は海軍中将に任ぜられ、特命全権公使として露都ペトログラードに派遣され、みごと交渉に成功します。

その後、逓信・文部・外務・農商務の各大臣を歴任、枢密顧問官となり、功により子爵を授けられます。

晩年は向島に住み、墨提を散歩する等悠々自適の生活を楽しみ、明治41年に73歳の生涯を閉じました。

昭和59年3月 墨田区

住所墨田区堤通2-6-10
アクセス
公共交通
最寄駅 >  鐘ヶ淵駅(東武鉄道)
アクセス 車最寄IC > 堤通IC(首都高速6号向島線) 堀切JCT(首都高速中央環状線) 
TEL03-5608-6951
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