軍艦島、端島 ぐんかんじま はしま
かつては海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していたが、閉山とともに島民が島を離れ、現在は無人島である。
その外観から軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。
近代化遺産として、また大正から昭和に至る集合住宅の遺構としても注目されている。廃墟ブームの一環でもしばしば話題に上る。現在は無人化により建物の崩壊が進んでいる。ただし外壁の崩壊箇所については、一部コンクリートで修復が行われている。
住所 | 長崎市端島 |
料金 | 端島クルージング:5名以上 1人 1,500円 端島までのクルージング 095-893-2039 |
レポート
2019年9月22日(日)に長崎県に接近した台風17号の影響がまだ残り、軍艦島の上陸は出来ず周遊クルーズでの観光となりました。
石炭から石油へと移行したことにより1974(昭和49)年に閉山。島は無人となり、2009年より観光施設として一般の上陸が可能となりました。
日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅で2015年7月5日世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録されました。
長崎港ターミナルから「やまさ海運」マルベージャ3号で観光です。
軍艦島周遊クルーズ(通常料金:4,200円早割利用で3,400円)所要時間約2時間30のコースとなりす。
出航。右手に稲佐山。稼働遺産であるジャイアント・カンチレバークレーンが原爆にも耐え今でも稼働
長崎港 イージス護衛艦DD -104「きりさめ」かな?DD-117「すずつき」も停泊。
戦艦・武蔵を建造した第二船台のガントリークレーン
女神大橋(ヴィーナスウィング)斜張橋としては、国内で6番目の長さを誇ります。
夜間にはライトアップされ、歩道は無料開放されており、歩道からは長崎港を中心とした夜景を観賞できる長崎の新しいシンボル。
神ノ島。神ノ島のシンボル岬のマリア像。このマリア像(高さは約4m60cm)は日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエル渡来400周年を記念して1949年に建てられたもで、毎年5月の第1日曜日には聖母祭がおこなわれるそうです。
長崎港のランドマークの1つ、神ノ島教会(カミノシマキョウカイ)
沖之島が見えてきました。沖之島教会(聖ミカエル天主堂)。伊王島大橋
高島が見えてきました。高島と飛島に橋が架かっています。橋の中央部は高島飛島磯釣り公園となっています。
中ノ島(無人島)。隣の島である端島より先に炭鉱の開発が始まるが坑道での出水が多かったことから採掘が困難となり、1893年(明治26年)には操業を停止、三菱社への売却からわずか9年で閉山。
島内には、竪坑を含む炭鉱時代の遺構や、水上公園の遺構、火葬炉・納骨堂の遺構などが点在
端島(軍艦島)。端島の元は小さな瀬(北約320メートル、東西約120メートル)で6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張。1916年(大正5年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が建設されました。人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には5,267人が住み、人口密度は世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達したそうです。
70号棟(端島小中学校)。島外からの行商人も多く訪れ、島内には小中学校や病院などが完備され生活を全て島内で賄うことができ、映画館・パチンコ屋・雀荘などの娯楽施設もそろっていました。
1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退。
主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより1974(昭和49)年に閉山。
廃墟と化した軍艦島。かつて石炭採掘で栄えた面影はまったくなかったです。
台風の影響で桟橋など被害が出ていて一般の上陸はできませんでした。安全が確保の為の調査と思われる人が数人上陸しドローンも飛んでいました。