神社・寺院・歴史 一覧
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長崎市・西彼杵半島
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い 一覧橋
- [ 歴史的建造物 | 橋 ]
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長崎市桶屋町
現在はコンクリートアーチ橋となってしまった。
長崎市内に数ある石橋の一つで、明暦3(1657)年に高一覧が架橋。1795年流出し1801年再架設。198
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お オランダ坂
- [ 歴史 ]
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長崎市東山手町
外国人が闊歩した居留地にある坂
昔、長崎の人は東洋人以外の外国人をオランダさんと呼び、居留地の坂をすべてオランダ坂と呼んだ。オランダ坂の中
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め 眼鏡橋
- [ 歴史的建造物 | 橋 ]
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長崎市魚の町
中島川石橋群にある日本最古のアーチ型石橋。
寛永11(1634)年に興福寺の二代目住職、黙子如定によって架けられたといわれる橋。中島川石橋群の中では唯
- [ 神社 | 初詣スポット | パワースポット | 祭り・イベント ]
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長崎市上西山町18-15
長崎くんちの舞台としても有名。
「おすわさん」の愛称で親しまれる長崎の総氏神。海の守護神を祀っていて、厄除けや縁結び祈願に多くの人が訪れる
- [ 神社 ]
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長崎市住吉町13-6
商売繁盛、安産守護の神様でもあり、多くの祈願が訪れる。
寛永11(1634)年に航海安全をつかさどる海の神様を祀って創建された神社。
- [ 歴史的建造物 | 歴史 | 博物館・資料館 ]
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長崎市立山1
長崎県防空本部が置かれた被爆建造物。
太平洋戦争中に空襲警報が発令されると県知事ら要員が集まり、警備、救護などの指揮をした場所。壕内施設と通路の
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う 梅園身代り天満宮
- [ 神社 ]
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長崎市丸山町2
元禄13年(1700)創建の丸山町の氏神様。
昔から“身代り天神”と呼ばれ親しまれてきた天満宮。名妓愛八をはじめ、多くの遊女が訪れたという料亭花月の裏門
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
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長崎市伊良林2-9-2
地元の「亀山社中ば活かす会」により運営
会員数100余名の「亀山社中ば活かす会」が管理・運営する資料館。坂本龍馬の等身大パネルや手紙の写しなど関連
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み 南山手十六番館
- [ 歴史的建造物 ]
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長崎市南山手4-15
1860年(万延元年)に、オランダ坂寄りの東山手十六番地に初代アメリカ領事館員の宿泊所として建てられた日本
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う 浦上天主堂
- [ 教会 ]
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長崎市本尾町1-79
宣教する教会をめざして
キリシタン弾圧に苦しんだ信徒たちによって建てられました。現在の建物は1959年に鉄筋コンクリートで再建され
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お 大浦教会
- [ 教会 ]
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長崎市南山手町2-18
長崎大司教区が大浦天主堂の隣接地に建立した教会
国宝大浦天主堂が、観光客の増加に伴い、司牧のためには不都合となってきたため、昭和50年(1975)11月、
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お 沖之島天主堂
- [ 歴史的建造物 ]
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長崎市伊王島町2-617
沖之島の高台に立つゴシック様式の白亜の天主堂。島民の願いで明治23年(1890年)に本聖堂が建立された。そ
- [ 歴史的建造物 | 歴史 ]
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長崎市南山手町8-1 グラバー園内
旧ウォーカー邸の向い側にある旧長崎地方裁判所長官舎。
明治16(1883)年に長崎上等裁判所長、長崎地方裁判所長の官舎として、唯一、居留地以外の長崎市内に建てら
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さ 山王神社
- [ 神社 | パワースポット ]
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長崎市坂本2丁目5-6
村社であった山王神社(日吉神社)と県社の皇大神宮とが合併(皇大神宮側に合祀)して創祀された神社で、浦上皇大
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さ 坂本国際墓地
- [ 碑・像・塚・石仏群 | 歴史 ]
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長崎市坂本1
明治21年に設けられた外人向け墓地。トーマス・グラバー夫妻、永井隆博士夫妻などの墓がある。
山王通りから山手に入った場所にある外人向け墓地。南側の入り口付近には、原爆で被爆しながらも医療活動を続けら
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な 長崎原爆資料館
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
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長崎市平野町7-8
核兵器のない世界をめざして、多くの資料を展示。
展示室には900点ほどの原爆資料を展示。ほぼ原寸大に再現した浦上天主堂の再現造型コーナーや、爆風で変形した
- [ 歴史的建造物 | 歴史街道 | 歴史 ]
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長崎市東山手町6-25
東山手洋風住宅郡の中の一棟。
長崎市の有形文化財に指定されている7つの洋風住宅「東山手洋風住宅群」の一つ。外国人居留地だった時代の東山手
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ひ 東山手甲十三番館
- [ 歴史的建造物 | 歴史 ]
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長崎市東山手町3-1
明治中期に外国人居留地に建築された木造2階建て洋館。
活水女子大学そばのオランダ坂沿いの洋館。明治27(1894)年ころに建てられた賃貸住宅で、イギリス人、アメ
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ふ 福済寺
- [ 寺院 ]
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長崎市筑後町2-56
坂本龍馬と逗留したと勝海舟の日記に記された寺。
原爆と戦争の犠牲者のためにつくられた地上35mほどの巨大な観音像(万国霊廟長崎観音といい、昭和54年(19
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ほ 本蓮寺
- [ 寺院 | 心霊・不思議・廃墟 | 珍スポット B級スポット ]
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長崎市筑後町2-10
教会跡に建てられた勝海舟ゆかりの寺。
西坂公園から東南へ小さな石段を下ったところにある日蓮宗の寺。境内にはキリシタン弾圧の際に信者が投げ込まれた
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り 龍馬通り
- [ 歴史街道 | 歴史 B級スポット ]
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長崎市寺町
本龍馬をはじめ幕末の若き志士たちが往来した坂道。
長崎市寺町通りの禅林寺と深崇寺にはさまれた路地(長崎市寺町)から、亀山社中跡(亀山社中記念館)を経て風頭公
- [ 歴史的建造物 | 歴史 ]
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長崎市南山手町8-1 グラバー園内
船が三菱造船所のドックに入っている間の乗員たちの宿舎だった建物。
明治29(1896)年に三菱重工長崎造船所が船の修繕所建設に際して建てた洋館。入港した外国船乗組員の休憩・
- [ 博物館・資料館 | 歴史的建造物 ]
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長崎市松が枝町4-27
明治37年(1904年)に建てられた洋館(重要文化財)で、レンガと石造りの3階建て、市内の洋館の中でも最大
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こ 晧台寺
- [ 寺院 | 初詣スポット ]
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長崎市寺町1-1
正式には海雲山普昭晧台禅寺という。
江戸初期に建立された曹洞宗の寺で、修行僧がいる専門道場でもある。長崎市内外に末寺が14ヶ寺ある。毎週土曜の
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し 聖福寺
- [ 寺院 | 歴史 ]
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長崎市玉園町3-77
「長崎四福寺」とよばれる黄檗宗の由緒あるお寺。
聖福寺は延宝5年(1677)、京都宇治の黄檗山万福寺の末寺として鉄心禅師が創建した黄檗宗の唐寺。興福寺、崇
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と 唐人屋敷跡
- [ 歴史 ]
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長崎市館内町
密貿易などを防ぐ目的で作られた中国人(唐人)居留地。
元禄2年(1689年)、江戸幕府が密貿易を防ぐことなどを目的として、唐人を集め、住まわせた屋敷跡地。唐館と
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も 桃渓橋
- [ 歴史的建造物 | 橋 ]
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長崎市出来大工町
昭和60年に復元された桃渓橋。
住民の困惑を見かねた僧卜意が延宝7(1679)年に架設させたもので、架橋当時、河畔に桃の木があったことから
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り 龍馬のぶーつ像
- [ 碑・像・塚・石仏群 | 歴史 ]
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長崎市伊良林2
ぶーつをはき、舵輪に手をかけ、龍馬の気分を満喫!
平成7年10月28日に亀山社中創立130周年を記念して、市民グループ「亀山社中ば活かす会」の呼びかけにより
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わ 若宮稲荷神社
- [ 神社 | 稲荷 ]
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長崎市伊良林2-10-2
坂本龍馬ゆかりの神社。
緑の木々の中、朱色の鳥居が鮮やかな神社。坂本龍馬をはじめ長崎に往来する志士等が当社に参拝し祈願したことで知
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う 上野彦馬宅跡
- [ 歴史 ]
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長崎市伊勢町4-14
彦馬はここで坂本龍馬を撮影したといわれる。
日本初のプロカメラマンとして知られる上野彦馬。この場所は、文久2(1862)年に創設した上野撮影局があった